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川瀬 慈 氏
略 歴

川瀬 慈

現職 :
国立民族学博物館 人類基礎理論研究部 准教授
最終学歴 :

京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科

五年一貫制博士課程修了(2010年)

主要職歴 :

2010年 日本学術振興会海外特別研究員(マンチェスター大学)

2012年 国立民族学博物館 助教

2013年 ハンブルグ大学アジア・アフリカ研究所 客員教授

2014年 ブレーメン大学人類学・文化調査学部 客員教授 

2016年 山東大学人類学科 客員教授

2017年 国立民族学博物館 准教授

     現在に至る
主な著書・論文
  1. 『叡智の鳥』、Tombac/インスクリプト、2021年

  2. 『エチオピア高原の吟遊詩人 うたに生きるものたち』、音楽之友社、2020年
  3. 【映像作品】『アシェンダ!エチオピア北部地域社会の女性のお祭り』、2020年
  4. 『あふりこ-フィクションの重奏/偏在するアフリカ』、編著、新曜社、2019年
  5. 「神々との終わりなきインプロヴィゼーション」、『ジャン・ルーシュ-映像人類学の越境者』、千葉文夫・金子遊編、森話社、pp.165-182、2019年

  6. 『ストリートの精霊たち』、世界思想社、2018年
  7. ETHNOGRAPHIC FILMMAKING IN ETHIOPIA, the Approach and the Film Reception, In S. Dinslage and S. Thubauville (eds.), Seeking out wise old men. Six decades of Ethiopian Studies at the Frobenius Institute revisited, Studien zur Kulturkunde 131, Berlin:Reimer-Verlag. pp. 75-86、2017年

  8. 【映像作品】『めばえる歌-民謡の伝承と創造-』、2017年
  9. 『アフリカン・ポップス!-文化人類学からみる魅惑の音楽世界』、鈴木裕之との共編著、明石書店、2015年

  10. 『フィールド映像術』分藤大翼、村尾静二との共編著、古今書院、2015年
  11. 「コミュニケーションを媒介し生成する民族誌映画 -エチオピアの音楽職能集団と子供たちを対象とした映画制作と公開の事例より-」、『文化人類学』80(1)、pp.6-19、2015年

  12. The Amharic Oral Poetry by Lalibäločč, Japanese Review of Cultural Anthropology Vol. 15. pp. 185-198、2014年

  13. 【映像作品】『精霊の馬』、2012年
  14. The Transformation of Musical Activities and Self-imposed Group Markers of Azmari in Ethiopia, CULTURES SONORES D'AFRIQUE ⅴ, publié sous la direction de Junzo Kawada, Institut de Recherches sur les Cultures Populaires du Japon, Universite Kanagawa, Yokohama. pp. 11-31、2008年

  15. 【映像作品】『Room 11 Ethiopia Hotel』、2007年
  16. 【映像作品】『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる』、2007年

以上のほか、現在に至るまで論文著書多数

備考 :2010年 京都大学 博士(地域研究)

業績紹介

「民族誌映画の革新的制作を通したアフリカ地域研究の新分野開拓」に対して

 

 

 川瀬慈氏は、未だ方法論が確立したとは言い難い地域研究の領域において、民族誌映画の革新的な制作と上映活動を通じて、新しい分野を開拓し、今後の地域研究の可能性を大きく広げたパイオニア的研究者である。

 川瀬氏は、2001年からエチオピア地域社会を対象にして人類学調査を開始し、民族誌映画制作を方法論的支柱として、地域社会の複層的ダイナミズムを明らかにしてきた。そのフィールドは、エチオピア北部を中心としつつ、近年は日本の各地を含み、こうした社会とそこで生きる人々の複雑な実相を、映像を用いた画期的な手法で記録する活動を継続している。

 地域研究は多様な問いと枠組みを内包するダイナミックな学問分野だが、重要な柱の一つに、地域に生きる人々の世界の豊饒さについて、苦難と希望を日常のなかから濃密に捉え直すことがあげられる。川瀬氏は、これまで文字と論理を中心に捉えられてきたこの領域に、全く新しい手法と思想にもとづいた映像実践を接続させ、地域研究に新しい分野を切り広げつつある。その重要な貢献は以下の三点である。

 第一の貢献は、民族誌映画制作方法の革新的な刷新である。これまで民族誌映画においては、科学的記録として価値を持たせるために、撮影時に被写体(調査対象)に撮影者(調査者)が介入しないこと、また被写体への干渉を隠す制作方法が重視されてきた。被調査者の「ありのまま」の姿を捉えることが「正しい」とされてきたのだが、川瀬氏は、人類学における民族誌記述の批判運動を背景にして、映像制作においても、調査者の存在や主張を隠蔽せず、むしろ調査者と被写体が相互作用する過程を記録する手法を探求した。こうして制作された『ラリベロッチ-終わりなき祝福を生きる-』、『Room 11, Ethiopia Hotel』、『僕らの時代は』、『精霊の馬』等の作品は各国の民族誌映画祭での上映を重ねると同時に、国内外の大学講義で活用され、後進に多大な影響を与えてきた。

 第二の貢献は、映像制作に「土地の物差し」の視点を導入したことだ。これまで民族誌映画制作の理論的前提は、この学問を作り出した西欧近代的なアート論であった。それゆえに、民族誌映画が好んで取り上げてきたパフォーマンスは、パフォーマーの内面の自由な精神を表現する実践として捉えられてきた。しかし川瀬氏は、エチオピアの音楽職能集団の地域社会における活動の調査と記録を通して、エチオピア北部の人々にとって音楽は個人の芸術的表現というよりも「神(キリスト教エチオピア正教会における)からの贈り物」という色合いが濃く、音楽は歌い手の「自己表現」ではなく、社会的な期待を果たす社会的な行為という点から考察することの重要性に気づく。そこから音楽やパフォーマンスを捉えてきた従来の視点自体を相対化するようになる。川瀬氏はそれを映像実践における「土地の物差し」の導入と規定し、以後の研究の方法論的核心に据えた。

 第三の貢献は、映像を通じて、多様で相異なる議論を開放する場を創造してきたことだ。川瀬氏が調査対象としてきた人々は、ゴンダールをはじめエチオピア北部社会で周縁化され差別を受けてきた人々である。例えば、吟遊詩人ラリベロッチ、楽師アズマリ、あるいは路上で物売りを行う子供たちや、憑依儀礼の霊媒等である。こうした人々をとらえた作品は、上映の脈絡によっては「アフリカへの偏見を助長する」「国家の恥部を拡散させる」といった批判を受けることもあった。しかし川瀬氏は、作品に対する視聴者からの多種多様な声に真摯に向き合い、作品が喚起する人々の感情や感覚の働き、さらには記憶の深淵を探求することもフィールドワークの重要な局面であると捉える。川瀬氏は、このように自らが制作した作品について、幅広い視聴者と議論することで、新しいフォーラムが創成されると主張して大きな支持を得ている。

 以上のような貢献とは別に、川瀬氏には特筆すべき活動がある。一つは、『アシェンダ!エチオピア北部地域社会の女性のお祭り』、『ザフィマニリスタイルのゆくえ』『めばえる歌-民謡の伝承と創造-』等の作品制作を通して、無形文化の記録・保護における民族誌映画の制作と活用を推進する活動である。二つ目は、民族誌映画の普及と水準向上のための活動で、川瀬氏は、欧州で開催される国際的な学術映画祭の審査委員と作品選抜委員を務めることで、革新的な映像制作者を支援・育成してきた。三つ目は、民族誌映画の社会的発信の活動で、2019年度に川瀬氏が中心になって創設されたマルチメディアのオンラインジャーナルTRAJECTORIAは、地域研究、人類学、文化遺産、ミュージアム、アートをつなぐ新しい媒体として国際的な注目を集めている。

 以上のように独創的で卓越した研究業績を重ねてきた川瀬氏が優れた研究能力を有していることは明らかであり、将来的にも地域研究のさらなる発展に大きく貢献する研究者として期待できることから、大同生命地域研究奨励賞にふさわしい研究者として選考した。

(大同生命地域研究賞 選考委員会)