「ベトナム・東南アジアにおける普遍的要因を重視した地域研究」に対して
古田元夫氏は、ベトナム語を本格的に駆使する第一世代の研究者として、1970年代以降、日本におけるベトナム現代史研究さらにはベトナムを中心とした東南アジア地域研究を先導してきた。
古田氏の研究の特色は、ベトナムを中心的な対象としながらも、絶えず、インドシナ、東南アジア、中国などの周辺地域との相互作用、さらにはグローバルなコンテクストの中に位置づけることによって結論を導くという点にある。この特色はまた、地域研究が一つの新しい学問分野として、細分化された既存の諸分野と対等な地位を獲得していく歩みとも重なっている。地域研究は、今日でこそ学問分野の一つとして公認されるようになっているが、その背景には同氏に代表されるような世代のたゆまぬ貢献があったといっても過言ではない。
古田氏がベトナム研究の道に入った1970年代は、冷戦という状況の下、日本とベトナムの学術交流は大きく制限されており、国費や外部資金による在外研究はもちろん、留学制度も無かった。そんな時代に同氏はハノイにある貿易大学の日本語教員として滞在するかたわら、日本では入手不可能だったベトナム語の文献資料の収集に努めると同時に、ファン・フイ・レ氏やヴァン・タオ氏など後にベトナムの歴史学界の重鎮となる研究者たちとの接点を築いた。そうした人的ネットワークこそが、日越間の学術交流の基盤となったのである。
1980年代末から1990年代にかけて、ベトナムは次第に対外的な門戸を開くようになり、それに伴い学術交流の幅も拡大していった。しかし、イデオロギー的な束縛はまだ強く、研究テーマも限られていたばかりでなく、結論ありきという研究スタイルにとどまっていた。現地での調査研究にあたっては、テーマの選定からアプローチに至るまで、十分に説明して理解を得る必要があった。そうした学術環境の中、特筆に値するのは、ヴァン・タオ氏(ベトナム社会科学委員会歴史研究所長)との共同研究として展開された、ベトナム北部における飢饉(1945年)の実態調査である。このテーマは、古田氏のライフワークの一つともいうべき日越関係史の一環であるとともに、現地調査によって丹念にデータを収集し、そこから結論を導き出すという実証的なアプローチに依拠しており、当時のベトナムにとっては画期的であった。その成果は、1995年にベトナム語の共著として出版され(Nan doi nam 1945 o Viet Nam: Nhung chung tich lich su, Ha Noi: Vien Su Hoc, 1995)にまとめられている。同書などの成果により、2012年には「ベトナム社会主義共和国科学技術国家賞」を受賞した。同氏によって培われた実証的なアプローチが、ベトナムの歴史研究に対して大きなインパクトを与えてきたことの証左である。
さらに、1990年代になると、古田氏の研究の頂点に位置づけられる『ベトナム人共産主義者の民族政策史』(1991年、大月書店)、そしてそのスピン・オフともいうべき『ベトナムの世界史』(1995年、東京大学出版会)の刊行が特筆される。いずれもタイトルからはベトナムに特化した業績であるかのような印象を与えるものの、実際にこれらの業績を貫いているのは、インドシナ・東南アジア・中国などのベトナムにとっての周辺世界や世界全体との相互作用を通じて、ベトナムの特質をダイナミックに浮かび上がらせようとするコンセプトである。換言すれば、ベトナムを取り巻く普遍的な要素に着目しながら、ベトナム自体を掘り下げていくという研究スタイルである。それは、対象地域を異にした地域研究者との共同研究のみならず、他の学問分野の研究者との学際研究を可能にするスタイルでもあった。これらの業績はいずれもベトナム語に翻訳されて出版されており、研究成果の現地への還元という点で重要であるばかりでなく、前述した実証的な歴史研究に加えて、地域研究という領域を優れた成果を通じてベトナムに紹介することにもなった。
2000年以降、古田氏の研究テーマは日越関係のほか、ベトナム戦争、ドイモイ(『ドイモイの誕生』2009年、青木書店)、地域統合などに及んでいるが、これは上記2つの業績に立脚した「各論」の発展形である。このように、その研究は止まることなく進展している。
同氏は、日本における学問分野としての地域研究の確立に心血を注ぐとともに、長らく教鞭をとった東京大学で多くの弟子を育てた後は、両国政府間の合意により2016年にハノイに設立された日越大学の学長として、ベトナムにおいても地域研究を定着させるべく奮闘を続けている。
以上のような、同氏のベトナムを中心とする東南アジア研究に対する先駆的かつ貴重な貢献に対して、選考委員会は大同生命地域研究賞の授与を決定した。