「母子健康手帳の国際的普及」に対して
中村安秀氏は、医療分野の国際協力活動の過程で、日本で用いられてきた「母子健康手帳」を世界に普及させた小児科医である。
中村氏は、1986年、国際協力機構(JICA)の母子保健専門家としてインドネシア北スマトラ州に赴き、乳児死亡率を下げるために子どもたちの健康改善に取り組んだ。2年3ヶ月の赴任期間中に村の人びとから相談を受けるうちに、出産や妊娠についてさかのぼる情報を人びとが語るのは難しいという状況から、日本で配布されてきた「母子健康手帳」が母子保健の鍵となる貴重な記録であることに改めて気づくこととなった。やがて、中部ジャワの家族計画プロジェクトのもと、人口15万人のサラティガ市で「母子健康手帳」の普及に着手し、1994年から配布を開始した。
中村氏はその際、日本版の「母子健康手帳」をそのまま翻訳するのではなく、現地で実践されていた体重表を取り入れるなど、同手帳のテーラーメイドを工夫した。そして、現地のスタッフと「10年経ったら全国制覇」を合言葉にして改善を重ねた。このように、地域社会の実情に合わせること、現地の専門家たちと協力すること、長期にわたって続けること、という3つの特徴は、まさに地域研究の精神の体現であると言える。
中村氏はまた、同手帳の著作権をフリーにし、アジア開発銀行(ADB)や世界銀行(WB)のドナーによる利用をうながした。1997年にはインドネシア保健省によって同手帳の配布の義務が明文化されることとなり、そうした制度化の結果、オーストラリアやアメリカなどのプロジェクトにおいても同手帳が取り込まれるなど、他国による国際協力に対しても大きな影響を与えた。このように、多様なステイクホルダーとの連携を果たしながら、同手帳を用いた母子保健サービスの仕組みはインドネシア全土へと拡大していったのである。そうした経緯については自著『海をわたった母子手帳』(2021年)に詳しい。
「母子健康手帳」は、SDGsに先行するMDGsにおいて、目標4<乳幼児死亡率の減少>と目標5<妊産婦の健康の増進>の双方に同時に取り組むものである点が意義深く、インドネシアでは現在、世界最大規模の年間400万冊余の手帳を配布している。国際協力分野でのモデル開発から全国展開という社会実装の稀有な成功は、さまざまな協業を調整して達成する中村氏の秀でた能力によってもたらされたものである。
中村氏の実践活動はインドネシアにとどまらない。たとえば、ケニアでは、第1回野口英世アフリカ賞を受賞されたママ・ミリアム(ミリアム・ウェレ博士)と協力して、エイズ対策として開始するなど、それぞれの国や地域の事情に応じた工夫が普及拡大に大きく寄与している。
また、中村氏は、国際母子手帳委員会の代表として、日本で同手帳が開始されて50周年になる1998年に、第1回の母子健康手帳国際会議を東京で主催して以来、隔年で、インドネシア、タイ、ベトナム、バングラデシュ、ケニア、カメルーン、オランダ、カナダなど世界各地で主催し、多くの研究者に科学的な議論と実践からの学びの場を提供している。なお、保健医療分野を超えて、国際ボランティア学会の会長としても同様に、国際協力の理論と実践に関する学びの場を次世代の研究者や実践者に提供している。<
「母子健康手帳」は、いまや世界50以上の国や地域に広がり、貧困、難民、障がいなど多様なニーズを持つ人びとも対象とするようになっている。日本で生まれた仕組みが世界で育まれて成長していることから、日本にも知的に還元される互恵的な実践であることが了解されよう。
以上のように、中村安秀氏の「母子健康手帳」の国際的普及を中心とする保健医療分野での活動は、地域研究にもとづいた実践における普遍性をはっきりと示しており、大同生命地域研究特別賞にふさわしいものと高く評価される。
(大同生命地域研究賞 選考委員会)