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谷 泰 氏
略 歴

谷 泰

現職 :
京都大学 名誉教授
最終学歴 :
京都大学文学研究科史学科博士課程(2年度終了)中退
主要職歴 :

1960年 京都大学人文科学研究所西洋部 助手

1968年 同志社大学工学部 講師

1969年 同志社大学工学部 助教授

1974年 京都大学人文科学研究所社会人類学部門 助教授

1982年 京都大学人文科学研究所社会人類学部門 教授

1989年 京都大学人文科学研究所 所長(91年まで)

1997年 京都大学人文科学研究所 退官

1997年 滋賀県立大学人間文化学部教授

1999年 大谷大学文学部 教授

2004年 大谷大学 退職

       現在に至る

主な著書・論文
  1. God, Man and Domesticated Animals-the birth of the Shepherds and Their Descendants in the Ancient Near East. Kyoto University Press and Transpacific Press.2017

  2. 「搾乳はいかにして開始されたか―西アジアにおける家畜化の意味と管理技法の展開から」、平田昌弘編『公開シンポジウムの記録 家畜化と乳利用 その地域的特質をふまえて―搾乳の開始をめぐる谷仮説を手がかりに』、帯広畜産大学公開シンポジウム事務局刊、2016

  3. 『牧夫の誕生-羊・山羊の家畜化の開始とその展開』、岩波書店、2010

  4. Early techniques as a forerunner of milking practices. In The zooarchaeology of fats, oils, milk and dairying. J.Mulville & A.K.Outram(eds.),114-120.Oxbow Books,Oxford.2005

  5. 『神・人・家畜-牧畜文化と聖書世界』、平凡社、1997

  6. 「乳利用のための搾乳はいかにして開始されたか―その経緯と背景」、『西南アジア史研究』43、西南アジア史研究会、1995

  7. Domestic animals as serf; Ideology of nature in the Mediterranean and the Middle East. In Rethinking Nature and Culture. R.Ellen & K. Fukui (eds.), Berg Pub. London.1995

  8. 「家畜化の起源をめぐって」、福井勝義編『地球に生きる4-自然と人間の共生』、雄山閣、1995

  9. The geographical distribution and function of sheep flock leaders; a cultural aspect  of the man-domesticated animals relationship in the southwestern Eurasia. In The Walking Larder.J.Clutton-Brock (ed.),185-199. Unwin Hyman, London.1989

  10. 「聖書」世界の構成原理-性・ヴィクティム・受難伝承』、岩波書店、1984

  11. 『牧夫フランチェスコの一日-イタリア中部山村生活誌』、日本放送出版協会、1976
  12. 『「牧畜文化考」、京都大学人文科学研究所紀要『人文学報』52号、1976

以上のほか、現在に至るまで論文著書多数

業績紹介

「地中海・中近東地域における牧畜文化の歴史文化的意味に関する研究」に対して

 

 

 

 谷泰氏は1952年に京都大学に入学、文学部で西洋史学を学ぶ学部生時代の1955年、山岳部員として京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検の準備を手伝い、今西錦司、中尾佐助、川喜田二郎、梅棹忠夫らに出会い、フィールドワークを重視する学風に接した。さらに大学院生時代の1958年には京都大学人文科学研究所の今西研究班に所属し、吉良竜夫、伊谷純一郎、藤岡喜愛、米山俊直、佐々木高明らに出会い、生態学、霊長類学、民族学、文化人類学など学際的な交流のもと、フィールドワークの学術的意義を確信するに至る。

 

 1960年、京都大学人文科学研究所西洋部助手に採用され、在任中の1963年ミラノ大学に留学する機会をうる。その際じかに触れた教会のヴィクティム・イエスの図像表現やオス子羊を食する復活祭の儀礼的慣習に牧畜文化の反映を見出す。こうして「地中海・中近東地域の牧畜文化の歴史文化的意味」と総称しうるその後の同氏の研究テーマのひとつ<旧約聖書での神・人・家畜をめぐる言説の背景を古代オリエント世界での牧民の社会文化的位置から読み解く>という課題1を抱く。

 1969年には、イタリア留学の経験をかわれて、他の発展途上地域でなされるフィールド的地域研究と同じ視線でヨーロッパ社会を調査・記述するという趣旨で立ち上げられた京都大学ヨーロッパ学術調査隊(第二次)への参加を求められる。そしてイタリア中部山岳地移牧村を調査対象にし、隊の目的にそった調査を本格的に実現する。しかも同氏は、この調査地で、去勢牡を利用した群れ誘導技法に出会い、古代西アジア世界で早くから成立した宦官による人民統治技法がそれと同型であることに気付く。こうして<古代オリエント世界でみいだせる家産的支配下にある家畜と人とを同等のカテゴリーに属するとみなす認識枠の延長のもと、家畜管理領域でのこの技法が人民管理領域に拡張された可能性を示す>という課題2を抱く。

 またおなじくこの調査地で、放牧羊群が自発的に人の居留地に帰還する行動、また催乳という搾乳技法の発想にかかわるとみなせる実子を利用した孤児への乳母付けの技法の存在を知る。それが、最もはやく羊・山羊家畜化が開始された中近東地域を中心にした牧民集団のもとでの人・家畜間関係についての知見を集めることで、<搾乳開始に到るまでの家畜化の過程を再構成する>という課題3を抱かせることになる。

 こうして1977年から四度にわたる文部省海外学術調査『ユーラシア南西部有畜社会の比較文化的研究』(班長;谷)、1989年から三度にわたる文部省海外学術調査『インド亜大陸における雑穀栽培とそれをめぐる農牧複合の研究』(班長;阪本寧男)、そして1993年稲盛財団学術奨励補助『地中海・中近東地域牧民の群れ管理技法の研究』によって、地中海・中近東地域の諸牧民集団での調査を通じて、上記の課題2,3に必要なデータを蒐集する。こうして課題2に関しては、別掲の主要関連著書・論文リスト番号1、5、7、9、課題3に関しては同リスト番号1、2、3、4、6で成果を公けにし、国内外でその説得力ある試みが評価され、現在でも議論の手がかりを提供している。

 またこういう作業と並行して同氏は、家畜化開始以後成立した牧民集団が、やがて古代西アジアでの都市権力中心の所有する畜群を放牧受託をすることで残されることになった契約更新時の員数調べ文書の内容分析を行ない、古代オリエント世界での牧民と都市権力との緊張をはらむ関係性を明らかにする。こうして自らを都市周辺の荒地で小家畜を飼養する牧民集団とみなしたヘブライの民が、神の導きのもとで自己のアイデンティティを再確立する過程を描いた歴史書<旧約聖書での神・人・家畜をめぐる言説の背景を古代オリエント世界での牧民の社会文化的位置から読み解く>という課題1に応えた論考を、同著書・論文リスト番号1、5、10において公けにし、西欧文化の基礎を文化人類学的に相対化した数少ない試みとして評価された。

 

 以上が谷氏の今回受賞対象となった業績の概要説明であるが、同氏がこれらの課題を見出すことになったイタリア中部山岳地移牧村での調査を通じて公にした書物に『牧夫フランチェスコの一日-イタリア中部山村生活誌』(1976刊、のち平凡社ライブラリーにて復刊)がある。そこで同氏は、いわゆる従来の民族誌家が記述してきたような当該社会の文化規則の束でなく、当該社会の諸個人が、それらの文化規則を行為上の道具として選択的に駆使しつつ他者と相互行為し、自己固有の生を紡ぎだすと同時に、あらたな社会を再構成する姿の記述こそが記述されるべきであると考えた。こうして古くから継承された家畜管理技法をもって移牧業を維持する牧夫から、都市化の流れとともに牧夫を辞め出稼ぎにでるものなど、個々のライフヒストリーの担い手の集まりとして、村の今を描いている。このような文化人類学的記述の視点は、のちの文化人類学での対象記述の方法論を先取りしたものとして、地域研究をめざす多くの若手研究者にとっての参照の書となっている。

 ただ同氏は、このような個人のライフヒストリーの束としての記述では、人々が相互行為しつつ新たな社会関係が構築される過程は記述されないという反省の下で、爾後『社会的相互行為の研究』(成果発表1987)や『コミュニケーションの自然誌』(成果発表1997)に見られる共同研究を開始している。そこですでに人類に共通して見いだされる言語的・非言語的コミュニケーションのあり方に関する基礎知見が得られており、文化に応じて異なるフィールド的現在としての出来事を分析・記述する方法上の手がかりを提供しており、地域研究者にとっても無視しえないパイオニア的作業となっている。

 

以上のように、谷泰氏の研究は、地域研究として看過されやすいヨーロッパを対象として本格的なフィールドワークを導入したという点で、地域研究のパイオニアであると同時に、牧畜文化論やコミュニケーション論など、地域の文化的特徴から普遍的な人間研究へと展開を果たした点においてもパイオニアである。こうしたパイオニア精神によって開拓された学問的地平は広く、その功績は極めて顕著である。よって、選考委員会は一致して大同生命地域研究賞を授与することを決定した。

  (大同生命地域研究賞 選考委員会)