- 現職 :
- 写真家
- 最終学歴 :
- 文京短期大学英文科(現、文京学院大学)(1972年)
- 主要職歴 :
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1972年~1973年 東京海上火災保険株式会社
音楽修業と渡米の後 -
1981年~ フリーランスの写真家
- 現在に至る
- (以下、すべて写真家・文筆家としての仕事と並行する)
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2000年~2011年 日本写真芸術専門学校講師
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2002年~2009年 日本ジャーナリスト専門学校講師(学校閉鎖まで)
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2003年~2008年 文教学院大学自由学科講師(2003年以前はオープンカレッジにて講師)
- 現在に至る
- 「キューバへ行きたい」(サンテリーアと革命と歴史/ とんぼの本)〔新潮社, 2011〕
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「ブラジル紀行」(バイーア・ブラック加筆加写真/ 復刊本)〔スペースシャワーネットワーク, 2009〕
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「アフリカン・ビューティ」(アフリカ女性の美/写真集)〔三五館, 2009〕
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「武器なき祈り」(アフロ・ビートという名の闘い/ フェラ・クティの生涯)〔三五館, 2004〕
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「アフリカ・喜・気・樹」(太陽がくれた詩と写真/ 写真詩集)〔理論社, 2003〕
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「キューバ甘い路上」(路地裏が育んたアフロ・キューバン/写真集)〔フィールドワイ, 2002〕
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「虹色の子供たち」(熱帯の子供たちの輝く笑顔)〔理論社, 2001〕
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「キューバ・愛 !」(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブと音楽揺籃の地)〔作品社, 2000〕
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「カーニバル・イン・ブラック」(ブラジルに渡ったアフリカの神々と祭り)〔三五館, 1997〕
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「バイーア・ブラック」(ブラジルの中のアフリカを探して)〔トラベルジャーナル, 1997〕
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「魔女ランダの島・バリ」(癒しとトランスを求めて)〔スリーエーネットワーク, 1996〕
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「ベトナムの人」対米戦終結20周年のベトナム(揺らぎ続ける花と陽の国)〔三五館, 1996〕
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「踊るカメラマン」(アフリカ・ブラジル・中国の旅)〔晶文社, 1993〕
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「歓喜・AYO」(西アフリカ写真集)〔情報センター出版局, 1991〕
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「おいでよアフリカ」(西アフリカの街と祭りと女たち)〔晶文社, 1990〕
以上のほか、ナショナル・ジオグラフィック誌連載などの寄稿、著書多数
・ 2011年「アフリカ・ブラジル・キューバ」Rainyday Bookstore& Café / PARCOリブロ
・ 2010年「写真家たちの日本紀行」キヤノン品川
・ 2009年「アフリカン・ビューティ」キヤノン品川
・ 2009年「ブラジル写真展」青山ブラジル大使館
・ 2002年「キューバ・甘い路上」キヤノン銀座、ハバナのギャラリーオフィシオ
・ 2001年「熱帯の色と顔」宮崎県立美術館
・ 1991年「歓喜・AYO」PARCO、TOKYO・FMホール他
・ 1989年「Smiling Africa」六本木AXISギャラリー
・ 1984年「アフリカ・オペラ」 渋谷PARCO100chTV
以上のほか、多数開催
「熱帯地域における音楽文化の記録と紹介に関する啓発活動」に対して
板垣真理子氏は、アフリカ、南米、アジア各地を旅し、人々が歌や音楽や踊りでみせる様々な局面を、美しく生き生きとした写真と文で表現し我々に多くの感動を与えてきた。
彼女は当初音楽の途を目指したが、「海外であるジャズシーンに遭遇したことで、音楽家ではなくその場を撮る側に回ることになった」という。その後写真家として独立し、キース・ジャレット、パット・メセニーなどのカレンダーを手掛け、マイルス・デイビスの東京講演でステージ撮影を行うなど写真家として精力的に活動し成功を収めてきた。その一方で、日本では未だ大きな広がりをみていなかったワールド・ミュージックに対する関心を強め、アフリカ音楽に惹かれていった。
ポップ・ミュージックの旗手であったキング・サニー・アデの音楽に魅せられ、1984年に初めてナイジェリアに出かけた。この時、もう一人のポップ・ミュージックの雄であり且つアフリカ人の解放と反体制運動の旗頭でもあったフェラ・クティと出会い、後に彼の半生記を著し、アフリカのポップ・ミュージックのメッセージ性についても広く紹介した。この後もナイジェリアとりわけ西部ナイジェリアには足繁く通い、ヨルバの文化や多神教の神々について様々な発表をおこなってきた。
やがてヨルバの文化や神々(ジュジュ)が奴隷貿易によって大西洋を渡り、新大陸で不思議なミックスをみせる宗教となって根付いていることを知り、ブラジル北東部バイーア地方やカリブの島国キューバに出かけた。それらの地域を旅する中で、ヨルバのジュジュがブラジルではカンドンブレ、キューバではサンテリーアとして人々の間に根付いている様子を豊かな写真と文で活写し本として出版した。複雑な神話、リズムと音楽、歌、踊り、色、象徴物、儀式、祭りなどにみられる大西洋を跨いだ繋がりに興味をそそられ、板垣氏はこの大西洋トライアングルの土地をたびたび訪ね、その時に感じた深い思いを本の出版などを通じ広く社会に紹介した。
神々の世界を訪ねる旅は、アフリカの植民地支配の歴史や現代のブラジルにおける人種差別、さらにはキューバにおける政治体制を覚醒的に意識させる旅でもあった。彼女は、「音楽が世界を映す鏡となるような視点」で、ブラジルのカーニバルやキューバのサンテリーアを観察してきた。このような視点で撮られた写真は、社会科学や人文科学といった学問では掘りさげにくい、人々の現代的日常生活の基底にある文化を映し出す効果をもっており、人々の地域に対する興味を喚起する点で非常に大きな貢献をなす仕事であったと評価できる。
彼女の活動の多彩さは驚くべきものがあり、アフリカ女性の美を追求した作品群や、マハレに生息する野生チンパンジーの生態を追った撮影記録、さらにアフリカ、ブラジル、キューバのみならず、世界各地の映画の紹介などでも活躍している。キューバの音楽家を描いて世界的な大ヒットとなった映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーに直接会い収録したインタビュー記録や彼らの世界各地での公演記録は、「アサヒグラフ」で大特集され高い評価を得ている。
上梓した書籍は、現在まで17冊にのぼる。キューバ日本国交樹立75周年記念としてハバナで開催した写真展も含め、国内外で多くの写真展を開催してきた。「ナショナル・ジオグラフィック」誌での連載や日経新聞における連載など、雑誌新聞等での発表も多い。地域、とりわけアフリカ、ラテンアメリカなどの地域の文化の多様性や歴史的深みを、多くの写真や文で表現し人々に感動を与えてきた点は、本研究特別賞に値するといえる。
紹介者: 島田 周平
(東京外国語大学大学院総合国際学研究院 特任教授)