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石澤 良昭 氏
略 歴

石澤 良昭

現職 :
上智大学教授(特別招聘教授)
上智大学アジア人材養成研究センター 所長
最終学歴 :
中央大学 文学博士学位取得(1977年)
主要職歴 :
1971年 聖マリアンナ医科大学医学進学課程専任講師
1977年 鹿児島大学教養学部助教授
1982年 上智大学外国語学部教授
1984年 上智大学アジア文化研究所所長及びアジア文化研究室長(~93年)
1995年 上智大学外国語学部長(~98年)
2002年 上智大学アジア人材養成研究センター所長(~現在に至る)
2005年 上智大学学長および上智学院学務担当理事(~11年)
2006年 文部科学省文化審議会文化財分科会長(~09年)

     高松塚古墳損傷問題調査委員会委員長

2007年 文部科学省文化審議会会長(~09年)
2010年 外務省・文部科学省共管「文化遺産国際協力コンソーシアム」会長(~現在に至る)
2011年 上智大学教授(特別招聘教授)および上智学院 学術顧問
現在に至る
主な著書・論文
  1. 『〈新〉古代カンボジア史研究』〔風響社, 2013〕

  2. Challenging the Mystery of the Angkor Empire, SUP Tokyo 2012

  3. 『東南アジア多文明世界の発見』〔講談社, 2009〕

  4. Mannuel d’ Epigraphie du Cambodge, EFEO Paris 2007

  5. 『アンコール・王たちの物語』〔NHK出版, 2005〕

  6. 『東南アジア古代国家の成立と展開』〔岩波書店, 2001〕

以上のほか、現在に至るまで論文著書多数

業績紹介

カンボジアのアンコール王朝を中心とする東南アジアの歴史研究と遺産修復・保存に関する地域研究」に対して

 東南アジア諸王朝の興亡史に関する研究では、1992年に世界遺産として登録されたカンボジアのアンコール・ワット及び周辺遺跡が世界的に注目されてきた。石澤良昭氏はアンコール・ワット遺跡に魅せられた数少ない日本人研究者であり、氏が20代前半であった1960年代より現地で遺跡保存にかかわる研究に着手した。とりわけ9~14世紀におけるアンコール王朝(802年頃~1431年頃)の王都であるアンコール・ワットの寺院建築に関する碑刻文、建築物、美術様式などについての独創的な研究を手がけてこられた*1。長年にわたるアンコール・ワット遺跡を中核とする石澤氏の東南アジア史研究の業績は以下に示す通り四つの特質と達成点にまとめることができる。



 第一に、アンコール・ワット遺跡における宗教的な大伽藍の建築をささえたアンコール王朝の経済・政治基盤とその歴史的変遷を解明する研究が達成されたことである。とりわけ、遺跡に残された碑刻文の詳細な分析から、高度な自給自足の農業国家でありながら、物流と交易のネットワークを通じてインドから南中国にいたる周辺地域との東西交易を実現していたこと、王位継承は世襲制ではなく、継承戦争があったこと、王朝の高位実務者集団が行政・税務・軍隊・総務的業務、法秩序の諸職を執り行い、国内の平和と安全の確保に尽力したこと、当時の村人の日常生活や副業的活動の実態、祭祀のあり方など、社会と文化に関する詳細があきらかにされた。近著の『〈新〉古代カンボジア史研究』がその到達点となっている*2。



 第二にアンコール・ワット建立と関連する膨大な水利工事と貯水池建造などに不可欠であった労働力は人びとの執拗なまでの、寺院(Āśrama)への寄進行為とそれを功徳とする信仰心のあったことがあきらかにされた。寺院で行われた祭儀は、村人に来世を考えさせ、さらに功徳(puṇya)を深化させる意味をもっていた。石澤氏は、王や地方の有力者自らの功徳は碑文として刻印せざるをえなかった必然的な行為であったこと、社会的な名声に敏感な人びとが競って寄進したと結論付けた。この問題提起は、人間にとっての功徳の本源的な意味を現代世界にも問いかけるものであり、世界の人びとに感銘をあたえるものとなった*3。



 第三に東南アジア史を塗りかえる発見が、遺跡発掘情報と歴史史料を総合的に検証する方法論により達成された点を挙げることができる。13世紀後半に「盛土土手道の歴史街道(王道=thnal)」を通じて、ベンガル湾方面から来訪したインド人王師が廃仏毀釈事件を誘導した。石澤氏はこの歴史事実を2001年のアンコール調査団第32次調査のなかで、274体もの廃仏と千体仏石柱を発見したことで史実をあきらかにし、それまでのフランス人研究者の建寺疲労説を覆した*4。この発見はカンボジア史研究上、たいへん大きなインパクトのある成果となった。これらの発掘物は石澤氏門下のカンボジア人研究者が館長をつとめるシハヌーク・イオン博物館に収蔵されている。また1296年に元から来訪した周達観がのこした『真臘風土記』の記録から、ジャヤヴァルマン八世がアンコール都城を改修増築した史実を指摘している。さらに、中国史料を駆使して扶南(ベトナム南部の王国)と真臘(カンボジア)の攻防を精査し、中国史料の誤記や年代などの不整合をいくつも指摘した*5。



 第四に、石澤氏のカンボジア研究は東南アジアの歴史研究であるという以上に、カンボジア国に根をおろした着実かつ現場主義に徹した研究活動が特質であることを指摘できる*6。石澤氏は1980年以降、氏を中心としてメンバーがカンボジア王国政府と協力し、「カンボジア人による、カンボジア人のための、カンボジアの遺跡保存修復」を哲学とした研究体制を実現した*7。この線上で、アンコール時代の遺跡保存を地域住民自らが主体的に行うべきとの観点から、日本としては唯一の現地型(レジデント)研究拠点となる人材養成研究センターを遺跡現場のシェムリアップ市に建設し、徹底した現場教育を通じた若手研究者の育成に尽力された。石澤氏は、さらに国内外の大学・研究者、博物館人、企業らとの協働による上智大学アンコール遺跡国際調査団を組織し*8、考古・地史・美術・建築・農村調査・保存技術・住民との社会連携など諸分野の研究を統括し、その指導的な役割を果たされてきた。この点は、地域研究として他に類を見ない石澤氏の到達点として後世に継承されるべき遺産となることは疑いえない。



 以上のように、アンコール王朝を中核とするカンボジア史の研究とともに、遺跡保存のための社会貢献や若手育成にも幅広く取り組まれてきたことは上述のとおりである。石澤氏の達成した地平は人類の歴史を塗りかえることになった、地域の歴史を詳細に析出したものである。この点で石澤氏の研究は大同生命地域研究賞の目指す精神にもっともよく合致する学術的貢献であると判断し、研究賞の授与を選考委員会において決定した。


*1 『東南アジア古代国家の成立と展開』(岩波講座東南アジア史 第2巻)2001年

*2 『〈新〉古代カンボジア史研究』2013年

*3 『アンコール・ワットの時代―国のかたち、人々のくらし』2008年

*4 『アンコール・ワットを読む』2005年

*5 『アンコール・王たちの物語』(2005年)

*6 『カンボジアの文化復興』第1 号~28 号(1984―2014年)

*7 「上智大学アンコール遺跡国際調査団の活動概要(2001 年~2002 年)」2002年

*8 「上智大学アンコール遺跡国際調査団」(http://angkorvat.jp)(1980年~)


紹介者: 秋道 智彌
(総合地球環境学研究所 名誉教授)