HOME  >  事業紹介  >  大同生命地域研究賞の贈呈  >  大同生命地域研究賞受賞者一覧  >  田辺 繁治
田辺 繁治 氏
略 歴

田辺 繁治

現職 :
国立民族学博物館 名誉教授
最終学歴 :
ロンドン大学大学院東洋アフリカ研究学院博士課程修了(1981年)
主要職歴 :
1974年 国立民族学博物館助手

1978年 国立民族学博物館助教授

1993年 国立民族学博物館教授
2004年 大谷大学文学部教授
2009年 同上退職
現在に至る
主な著書・論文
  1. 『精霊の人類学―北タイにおける共同性のポリティクス』〔岩波書店, 2013〕
  2. 『北タイ農民社会における儀礼と実践』(タイ語)〔Chiang Mai: Center for Ethnic Studies and Development, Chiang Mai University, 2012〕

  3. 『「生」の人類学』〔岩波書店, 2010〕

  4. 『ケアのコミュニティ―北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』〔岩波書店, 2008〕

  5. 『コミュニティと統治性―北タイにおけるHIV感染者グループ』(タイ語)〔Bangkok: Sirindhorn Anthropology Centre, 2008〕

  6. Imagining Communities in Thailand: Ethnographic Approaches (ed.)〔Chiang Mai: Mekong Press & Seattle: University of Washington Press, 2008〕

  7. 『社会空間の人類学―マテリアリティ・主体・モダニティ』(西井凉子と共編著)〔世界思想社, 2006〕

  8. 『黄衣と黒衣─北部タイにおける農民指導者の物語』(タイ語)〔Bangkok: Chulalongkorn University Press, 2004/1986〕

  9. 『生き方の人類学―実践とは何か』〔講談社現代新書, 2003〕

  10. 『日常的実践のエスノグラフィ─語り・コミュニティ・アイデンティティ』(松田素二と共編著)〔世界思想社, 2002〕

  11. Cultural Crisis and Social Memory: Modernity and Identity in Thailand and Laos (co-ed. with C.F. Keyes) 〔London: Routledge/Curzon, 2002〕

  12. 『アジアにおける宗教の再生―宗教的経験のポリティクス』(編著)〔京都大学学術出版会, 1995〕

  13. Ecology and Practical Technology: Peasant Farming Systems in ThailandBangkok: White Lotus, 1994〕

  14. 『実践宗教の人類学―上座部仏教の世界』(編著)〔京都大学学術出版会, 1993〕

  15. 『人類学的認識の冒険―イデオロギーとプラクティス』(編著)〔同文舘出版, 1989〕

  16. History and Peasant Consciousness in South East Asia, Senri Ethnological Studies, No.13, (co-ed. with A. Turton) 〔Osaka: National Museum of Ethnology, 1984〕

以上のほか、現在に至るまで論文著書多数

備考 :1981年  Ph.D.(ロンドン大学)

業績紹介

「北タイを中心とする地域研究とその理論化に関する貢献」に対して

 田辺繁治氏は、1960年代からタイにおける文化人類学的研究を開始し、長年にわたり、日本におけるタイ研究を推進してこられた。氏の研究は、綿密な現地調査にもとづく実証的な研究であると同時に、すぐれて理論的である点で、地域研究の発展に大きく貢献され、今日なおその貢献は続いている。

 氏は当初、稲作農耕技術に関する民族誌的研究をおこない、その成果は1978年に第9回澁澤賞を受けるなど早くから評価されていた。のちに、タイ北部のチェンマイ地方と中部のアユタヤ地方の稲作農耕技術に関する比較研究をおこない、1981年、ロンドン大学で学位を取得した。それに基づく著書も、のちに出版されている(Ecology and Practical Technology: Peasant Farming Systems in Thailand、1994年、White Lotus)。

 1980年代にはいると、氏の関心は、稲作農耕儀礼だけでなく仏教儀礼や守護霊儀礼など人びとの生活をおおう多くの儀礼へと拡大し、とりわけ精霊の儀礼に集中してゆく。北タイおよびラオスの人びとは、上座部仏教を信奉すると同時に、「ピー」とよばれる精霊の存在を信じている。精霊は人間に危害をおよぼすが、また逆に守護するという両義性を備えると考えられている。それゆえ、病気を治療し、心身の不調を解消するためにさまざまな精霊儀礼をとりおこなう。こうした儀礼の実態を詳細に調査し、新たな共同性のダイナミズムを以下のように明らかにしてみせた。

 まず、北タイの伝統的な社会では、儀礼において精霊たちは供養され守護的な力に転換されることによって、現存する社会的秩序が追認される一方、参加者のあいだの共同性がはぐくまれる。こうした精霊儀礼のメカニズムは、社会が変容し、近代性が拡大するなかでも持続するが、そこでは伝統的な社会とは違った新たな共同性をうみだしていく。このように、精霊および精霊儀礼が社会の基層となっていることを「共同性のポリティクス」として分析した。

 近年の社会変動のなかでは、都市部はもとより、地方においても村のようなコミュニティは衰退し、もはや人びとは個々人へと解体されている。氏はそこに勃興する職業的な霊媒たちのカルトに注目することによって、伝統的な儀礼の形式や言説を継承しながらも、従来のコミュニティ、社会関係や男女の性的区別も超えた、新しい共同性がうまれつつあることを見いだした。すなわち、病気治療や運勢占いなどをおこなう霊媒たちは、精霊儀礼の実践的な知を継承しながら患者やクライアントたちの苦痛や苦悩を緩和し、問題の解消を手助けしているのである。都市のなかでバラバラに生きる霊媒や患者、クライアントたちは情動的に交流しあう場においてたがいに結びつく新たな共同性をつくりあげている、と明らかにした。

 このように地方と都市、および伝統と近代性との違いを明らかにしながら、いずれにおいても、不安や苦痛を媒介にして成立している共同性を分析している点に、氏の研究の真骨頂がある(『精霊の人類学』2013年、岩波書店)。1990年代から開始された、HIV感染者自助グループに関する研究は、同じく、苦しみを共有しながら実践する新たなコミュニティを対象とするものである。そこにおいても身体化された知識が共有、継承され、新たな共同性が生成されていく過程が明らかにされた(『ケアのコミュニティ—北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』2008年、岩波書店)。「ケア」をめぐる人類学的研究の日本における嚆矢であるといえよう。

 こうした研究は、タイに関する地域研究の新たな局面を開拓したものである。と同時に、地域研究を超えて、普遍的に、人間に関する新しい知見をもたらすものでもある。そこで、氏はこの普遍性について、人びとの「生」そのものにアプローチする「実践」の人類学として理論的に整備した(『「生」の人類学』2010年、岩波書店)。

 また、以上のような研究成果は、日本語のみならず、英語やタイ語で国際的に発信されている。また、社会的に普遍化すべく一般書の刊行にも取り組まれている(『生き方の人類学——実践とは何か』2003年、講談社現代新書)。こうした成果により、2008年に第3回日本文化人類学会賞を受けている。

 以上のように、地域研究としてきわめてオリジナリティが高く、理論化、国際化、一般化の側面も兼ね備え、地域研究に対する貢献は群をぬいており、本賞を授与するにふさわしいと、選考委員会において決定された。

紹介者: 小長谷 有紀
(国立民族学博物館 教授)