- 現職 :
- 立教大学名誉教授
- 最終学歴 :
- 東京都立大学大学院博士課程満期退学(1964年)
- 主要職歴 :
- 1972年 清泉女子大学文学部助教授
- 1976年 立教大学文学部助教授
- 1977年 立教大学文学部教授
- 1997年 茨城キリスト教大学文学部教授
- 2003年 同上退職
- 現在に至る
- 『秘境トンガ王国』〔1964二見書房、1984三修社 再版『女の楽園トンガ』〕
- 『モデクゲイ―ミクロネシア・パラオの新宗教』〔1985 新泉社〕
- 「Bitang ma Bitang(2つの半分)、Eual Saus(4つの角)および機構的混乱〔1986『ミクロネシアの文化人類学的研究』国書刊行会〕
- 『遊びの文化人類学』〔1977講談社現代新書476〕
- 『子育ての人類学』〔1987 河出書房新社〕
- 『トンガの文化と社会』〔1991 三一書房〕
- “Modekngei: A New Religion in Belau, Micronesia”〔2002 新泉社〕
- 『国勢調査から考える人種・民族・国籍』〔2010 明石書店〕
- 『もっと知りたいニュージーランド』編著〔1997 弘文堂〕
- 『ニュージーランド事典』編集代表〔2007 春風社〕
- 『ニュージーランドを知るための63章』編著〔2008 明石書店〕
- “Kinship Organisation and Behaviour in a Contemporary Tongan Village” 〔1966 Journal of the Polynesian Society 75-2〕
- 「旧南洋群島における日本の宗教政策」〔1977『南方文化』4〕
- 「ベラウ親族集団の系譜と父親の役割」〔1989『国立民族学博物館研究報告別冊』6〕
- 「彼らは如何にしてラタナ教徒となりしか」〔1989『社会人類学』15〕
- 「漁業補償と都市のマオリたち」〔『先住民と都市』1999青木書店〕
(1~3は、筆名“青柳 真智子”で執筆。4~16は、筆名“青柳 まちこ”で執筆。)
以上のほか、現在に至るまで論文著書多数
備考 :1984年 文学博士(東京都立大学)
「オセアニア地域研究の推進とエスニシティの理解への貢献」に対して
青柳真智子氏は、1960年代よりオセアニア島嶼国において文化人類学のフィールドワークを開始し、日本におけるオセアニア地域研究の礎をつくられた1人である。同氏は、地域研究が本来重視すべき幅広い視座をもち、オリジナリティに溢れる研究成果を発表すると同時に、研究者の視点をとおして成果の社会還元にも積極的に取り組んできた。さらに、同氏は「人種」や「民族」などのヒト(人間)の集団区分がもつ科学的な不確実性と、社会的な差別意識に与える影響に早くから注目し、科学的・社会的に正当なエスニシティの理解を目指した研究・啓発活動において先導的な役割を果たしてきた。
青柳氏は1953年に、日本にはじめて社会人類学専攻が開設された、東京都立大学大学院社会科学研究科の修士課程に第1期生として入学した。同研究科で修士号を取得後、体調を崩した時期もあったが、1959年に同研究科社会人類学専攻の博士課程に入学し、1961年からオセアニア地域での調査を開始した。東京都立大学社会人類学教室には、岡正雄博士、馬淵東一博士をはじめとする日本の文化人類学・社会人類学のパイオニアが在職されており、きわめて恵まれた研究環境で研究者としての第一歩を踏み出した。さらに、青柳氏は1961-62年にハワイを皮切りにオセアニア地域を訪れた際、篠遠喜彦博士、ジャック・バロー博士、マーシャル・サーリンズ博士など、オセアニア研究をリードしていた多くの研究者から直接教示を受ける機会を得た。また、1960年代にオセアニア調査に着手した、石川榮吉博士をはじめとする多くの日本人研究者とも親交を深めている。これらの経験が、同氏のその後の研究活動において、人びとの生活・習慣、社会・経済、政治、宗教、教育、ジェンダー論など、多岐にわたる分野を関連づけ論考することに結びついたといえよう。
青柳氏の最初の原著論文は、1966年にJournal of the Polynesian Society(JPS)に掲載された”Kinship Organisation and Behaviour in a Contemporary Tongan Village”(Volume 75, pp. 141-176)である。この研究は、トンガ王国農村部において、伝統的な親族関係が現在も(調査時点でも)社会規範や人びとの日常行動を強く律していることを明らかにしたもので、JPS誌にコメント論文が掲載されるなど大きな反響をよんだ。学位論文研究では、パラオ(現ベラウ)共和国で1910年代に始まったモデクゲイと呼ばれる伝統宗教とキリスト教を混合した新興宗教に着目し、フィールドワークと文献研究に基づき、社会運動の側面をもつモデクゲイを人びとの生活および価値観と関連づけ、戦前の統治国であった日本政府への抵抗運動としての側面を含め分析した。この成果に基づき、青柳氏は1984年に東京都立大学から文学博士の学位を授与されるとともに、その内容は1985年に『モデクゲイ―ミクロネシア・パラオの新宗教』(新泉社)として、さらに2002年には Modekngei: A New Religion in Belau, Micronesia(新泉社)として出版された。また、ニュージーランドを1962年に訪れて以来、先住民マオリの社会と宗教、マオリとヨーロッパからの移住者との関係史、さらにはニュージーランドにおけるさまざまな今日的課題を研究し、多くの学術書・啓発書を著してきた。1992年に設立されたニュージーランド学会の活動には当初から重要な役割を果たし、2008年から現在に至るまで学会長を務めている。
青柳氏はフィールドワークの成果を背景に、現代社会におけるさまざまな問題に対しても積極的に発言してきた。特に、日本で曖昧な理解がなされてきた「人種」と「民族」などのヒト(人間)の集団区分の問題点を指摘し、科学的・社会的に正当なエスニシティの理解を押し進めた活動が特筆される。日本における人種の理解は、ユネスコをはじめとする国際的な場において、人種分類は科学的な根拠が希薄で、人種差別に結びつく傾向が強いため死語と化しているとの認識と大きく乖離していたし、民族に関しても、アイヌに対する理解不足や中学校・高等学校の教科書で不適切な記載が多くみられた。このような状況に対し、自然人類学・文化人類学などを専攻する研究者が日本学術会議などとも連携し偏見を是正する活動を展開してきたが、同氏はその中心メンバーの1人として活躍された。同氏は、人種・民族に関する論考をさらに深め、世界中の人びとの基本的人権などとも関連する国籍に関する研究や、各国の国勢調査の比較研究なども行ってきた。
青柳氏は、「老い」「子育て」「ジェンダー」「遊び」「開発」「文化交流」などにも深い関心を寄せ、それぞれをテーマにした著書も著している。「老い」を例にあげると、世界のさまざまな社会における高齢者(老人)に対する認識を冷静に見据え、「健康な老人」と「心身の衰えがみられる老人」では異なって捉えられている傾向を指摘している。すなわち、「健康な老人」は尊敬・愛着の対象として大切にされるものの、「心身の衰えがみられる老人」は社会にとって重荷になるとみなされているのである。このように、青柳氏はさまざまな社会的関心事に対し、幅広い知識に基づく鋭い指摘をとおして、多くの分野の研究者や一般読者に知的な刺激を与えてきた。
青柳氏の業績として、日本の文化人類学の草創期にあたる1960年代から、優れた学術書の翻訳を積極的に行ってきたこともあげられる。ホーマンズとシュナイダー著「交叉イトコ婚と系譜」(『文化人類学リーディングス』誠信書房、1968年)やラドクリフ=ブラウン著『未開社会における構造と機能』(新泉社、1975年)などは、とくに若い研究者の間で基本文献として広く読まれてきた。同氏は、清泉女子大学、立教大学、茨城キリスト教大学において長らく教鞭をとり、多くの学生に文化人類学を中心とする地域研究の意義を教授するとともに、著作や学会活動とも連動し多くの地域研究者を育成してきた。
紹介者: 大塚 柳太郎
(財団法人 自然環境研究センター 理事長)