鹿野 勝彦氏

略 歴
現職 金沢大学教授 文学部長(文化人類学) 鹿野 勝彦氏
主要職歴 1975年 財団法人リトルワールド研究員
1984年 金沢大学文学部 助教授
1991年 金沢大学文学部 教授
2000年 金沢大学大学院社会環境科学研究科長
2002年 同 学部長
現在に至る
主な著書・論文
1. 「シェルパ ヒマラヤ高地民族の二〇世紀」(茗渓堂2001)
  2. 「社会人類学におけるジャジマニ・システムの問題点」(『アジア・アフリカ研究』1977)
  3. 「ロールワリン・シェルパの経済と社会」(『リトルワールド研究報告』1979)
  4. 「村落の経済変化と国境―インド・ネパール国境のケース・スタディ」
(『民族学研究』1980)
  5. 「自然と歴史が織りなすヒマラヤ―3つのチベット系民族の適応」(『季刊民族学』1981)
  6. 「ダウリーをめぐる社会関係」(『文化人類学』1985)
  7. 「Functions and Characters of Periodic Markets for Villagers」
(Markets and Traders in South Asia 名古屋大学刊行1987)
  8. 「ベンガル農村のクマール(土器作りカースト)」(『民族学研究』1987)
  9. 「Economic Exchange and Social Relations in a Village」
(Markets and Traders in South Asia 名古屋大学刊行1991)
  10. 「市とカースト」(『季刊民族学』 1993)
     
  以上のほか現在にいたるまで論文著書多数
備考 1970年 社会学修士  


  業績紹介
「ヒマラヤ高地民族シェルパの文化人類学的研究」に対して


鹿野氏は文化人類学者であると共に登山家としても抜群の功績を上げた人であります。鹿野氏は1965年(昭和40年)、大学院の学生時代にカラコルムのキンヤンキッシュに向かった東京大学の遠征隊に参加し、その後1970年(昭和45年)に日本山岳会のエベレスト遠征の登山隊員、1976年(昭和51年)日本とインドの合同による日印ナンダ・デヴィ登山隊の隊長、日本とネパールの合同による日本ネパール・カンチェンジュンガ登山隊の隊長として、めざましい働きをしました。とくにナンダ・デヴィとカンチェンジュンガの登山は、ヒマラヤ登山に尾根づたいに高峰と高峰をつなぐ縦走登山という新しい試みを成功させたものとして高い評価を受け、さらに日本とインドおよびネパールとの友好親善の強化にも貢献したものであります。

一方、鹿野氏の文化人類学研究の主たる関心も早くからヒマラヤ・カラコルムの山脈に住む住民に向けられていました。そして1972年(昭和47年)から74年(昭和49年)にかけて数度に及ぶネパール高地でのフィールドワークと博物館リトルワールドのための資料収集に従事しました。フィールドワークはその後、1976年(昭和51年)から1983年(昭和58年)にかけても何度か実行し、その範囲はインド、バングラデシュそして中国にも広がりました。また、文部省科学研究費による海外調査「南アジア農村地域における市と商人集団の研究」では、1984、87、89の3度にわたって、インド、バングラデシュ、ネパールで広範かつ集中的な社会人類学・経済人類学の調査を行いました。
これらの現地調査の成果は、いくつもの調査報告や論文として1977年(昭和52年)以来最近に至るまで発表され、インドやネパールの農村社会の詳細なケーススタディとして貴重な記録となっております。それらはインドやネパールの農村文化を視野に入れたさまざまな研究にとって基礎的な資料としても高い評価を持ち続けることでしょう。

鹿野氏がとくに調査を重ねて研究を深めてきたのは東部ネパールの高地に住むチベット人で、自他共にシェルパと名乗る人々であります。最近その研究の成果が1冊の書物にまとめられました。それは『シェルパ ヒマラヤ高地民族の20世紀』(茗渓堂2001年)であります。

本書はシェルパという人々の民族誌であるとともに民族史であり、シェルパ社会の実態と歴史をこのような形で提示した例はこれまでにありませんでした。本書において鹿野氏はシェルパ民族の生活、社会、生態学的側面、そしてそれらの歴史を全体的にかつ立体的な形で書き上げています。総合的かつ立体的というのは、シェルパ社会とその文化がさまざまな要因が作用しあう関係体である一方で、その関係体が静的な完結体ではなく、内部と外部の両方の変化に常に対応している動的な性格も持つという意味であります。このような形で一つの民族の歴史を捉えるというのは、文献資料や十分な統計資料のない状況では至難の業であり、深く広い知識と現地調査体験が、時間をかけて溶け合い、発酵するに至ってようやく可能になるものでありましょう。

ヒマラヤの自然とその高所に移住してきたシェルパの関係は農業・牧畜・交易を柱とする生業体系を生みました。しかし、細かく状況を調べれば、その体系には変異もあります。一方、北はチベットから中国へ、南はインドからヨーロッパへとつながる諸関係のなかで、シェルパはいろいろな生存戦略を生み出して行き、決して停滞することがありません。ダージリンの茶摘みに出てきたシェルパが、折しも盛んになる登山隊のポーターとしての実力を発揮し名声を獲得するや、逆にその名声を武器にして観光産業と結びついて行く道を選んだり、さらには都会に出る人々もいます。そして教育を受けた立場からシェルパの新しい結束の組織を作り、生存基盤を固める動きをはじめています。また、都会の生活を通じて近代化する傾向と平行して、ラマ教祭祀への傾倒を強め、いわば伝統回帰を強めますが、果たしてそれは伝統回帰なのか伝統の新しい形態への変化すなわち伝統の創造とでも言えるものなのか。鹿野氏は、今後の研究を大いに刺激する事実を鮮明に把握し、提示しております。

本書について、ネパール西部で調査研究を重ねてきた文化人類学者、名和克郎氏(東京大学東洋文化研究所助教授)も、「1冊でここ20年ほどの間に英語で出版された文化人類学者による研究書と並べてみても最高水準のものだ」と評価しております。

鹿野氏のネパールやインドでの着実な現地調査にもとずく知見は、社会開発や経済開発という実践面でも高く評価され、わが国の国際協力事業団の活動に大きく貢献してまいりました。1992年より93年(平成4-5年)ではネパール国別援助研究会に参画し、1996年から現在までは、エチオピア高地での地下水開発・水供給訓練計画国内委員として、日本とエチオピアを往復しつつ活躍をしております。

鹿野氏のヒマラヤ高地住民の研究は、こうして学術面のみならず、社会開発の実践面での活動にも大きな効果を上げております。鹿野氏の研究成果と体験が、これからのヒマラヤ住民の研究に重要な指針となることはまちがいありませんが、さらにヒマラヤからエチオピアそしてその他の地域の理解へと拡大し、その知見が社会人類学一般への寄与のみならず地域開発の方向策定と実践においても大きく貢献することを期待してやみません。



紹介者:大貫 良夫(東京大学名誉教授)

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